競馬好きな社会人の日記

競馬好きな社会人の日常をつづった日記です。

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仰木監督死去

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昨日の22時台で、テレビで速報テロップが流れたそうですが、
僕は23時頃ネットでこの情報を見て始めて知りました。
スポーツ新聞のサイトに出るまでは、信じられませんでした。

仰木さん死す、がんと闘い1年指揮

http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-051216-0015.html

近鉄オリックスで指揮をとり、3度のリーグ優勝、1度の日本一に導いた仰木彬氏が15日午後4時10分、呼吸不全のため福岡市内の病院で死去した。70歳。仰木氏は肺がんで闘病中だった。通算14年に及ぶ監督時代に、イチローマリナーズ)、野茂英雄ら名選手を多数育て、意表を突く采配は「仰木マジック」と呼ばれた。今季は近鉄球団と合併した新生オリックスの指揮をとったが、体調不良で辞任し、同球団のシニア・アドバイザーに就任。だが、退任後は入退院を繰り返していた。葬儀は本人と家族の意向で、家族、親族のみの密葬で行われる。
酒を愛し、野球を愛した…。現役時代は二塁手として西鉄の黄金期を築き、近鉄オリックスでは監督としてチームを優勝に導いた仰木さんがこの日夕方、福岡市内の病院で、息を引きとった。

「グラウンドで死ねたら本望や」。

それが最近の仰木さんの口癖だった。
昨オフ、近鉄オリックスの合併により誕生した新球団の監督を引き受けた。すでに体調を崩していたが、古巣の窮地を見過ごすわけにはいかなかった。シーズン中も極秘裏に定期検査を繰り返していたが、がんは容赦なく体をむしばみ続けた。
今年は「野球界への最後のご奉公や」と冗談めかしながら、気力を振り絞ってきたが、ついに力尽きた。
パ・リーグ一筋の野球人生だった。西鉄では、三原監督にその非凡な才能を見いだされた。中西、稲尾、豊田らと、野武士軍団といわれた常勝チームをけん引。コーチ業を経て就任した近鉄監督時代、その戦術は“仰木マジック”と称された。名監督だった三原魔術が仰木野球の原点だった。
18年間のコーチ時代を経て、88年に近鉄監督に就任。梨田、大石、阿波野らを擁して、伝説の『10・19』の名勝負を演じた。阪神大震災に見舞われた95年、オリックスで“がんばろう神戸”をスローガンにリーグ優勝。打ちひしがれた被災者を励まし、勇気づけた。連覇、そして長嶋巨人を破り日本一。熱パ仕掛け人として球界を盛り立てた。
まだ2軍選手だった鈴木一朗を「イチロー」とした名付け親だった。天才打者を世に送り出し、今やメジャーを代表するプレーヤーに育て上げた。体をひねって投げる野茂の変則フォームも、そのまま奨励するなど、個性重視がその特性だった。メジャーへ巣立った教え子のもとへ、ここ数年は、毎年のように渡米して激励していた。
しかし今オフ、オリックス球団は仰木続投を望んだものの、それもかなわないほど病状は悪化の一途をたどった。酒豪として知られ、カラオケのマイクをもつと演歌や、越路吹雪の曲を歌った仰木さん。この日午後9時過ぎ、遺体は北九州市内にある自宅に運ばれた。グラウンドでは大逆転を何度も演じたが、奇跡は起こらなかった。


パリーグ一筋の人で、パリーグに与えた影響は計り知れません。
実は、他のブログで仰木監督は体調が相当悪いらしいという話を聞いてましたし、
今思うと、今年中継で見てたときも、体調が悪いのか福岡ドームのベンチでぐったりしているような姿が映ってた事もありました。
去年オリックス・バファローズの監督を引き受けると聞いたとき、
何でこんな尻拭いを・・と思いました。
なんせ関わった2チームの名をを消した人物がオーナーをやってる球団の監督なわけですから。
ちなみに10.19の最終決戦の日に、阪急がオリックスの身売りを発表し、
試合の視聴率はものすごかったのに、翌日の新聞の一面が阪急身売りだったという事実。
一体、どれだけ仰木さんに迷惑をかけているのやら・・
イチローをポスティングで売り払った時、本社が全額巻き上げたそうです。
今度球団葬を行いたいとか言っているようですが、また金儲けに使うのならやめていただきたい。パリーグ全体で葬儀を行ったほうがいいと思います。
野茂やイチローがいなければ、今頃パリーグはなくなっていたと思います。
野茂とイチローという非読売のスターを生み出した手腕は高く評価されるべきだし、
1990年以降のプロ野球において与えた影響は、絶対に長嶋茂雄よりも上だと思います。
ご冥福をお祈りします。


仰木オリックスにおいて印象に残る試合は、
1996年日本シリーズの第一戦のイチローが決勝HRを打った試合です。
ホークスとの試合では1999年の夏場の試合だったと思いますが、
延長に入ってオリックス一点リードで、ホークスの攻撃二死ランナー無しからの、
柴原がサヨナラ3ラン打った試合です。
ちなみに、3試合くらいは見に行きましたが、
マリナーズの長谷川に完封負けしたり、ニールにレフトへの特大のHRを打たれたのが印象的でした。
ホークスの投手陣はイチローに5割近く打たれていたのがいい思い出です。
2chからのコピペになりますが、巨人を破った当時のメンバー
1996年 オリックス優勝メンバー

1 7 田口
2 4 大島
3 8 イチロー
4 DH ニール
5 9 藤井
6 3 D.J.
7 6 小川
8 5 馬場
9 2 中島

佐藤、星野、長谷川、野田、フレーザー、金田、小林、豊田
鈴木平、野村、平井
勝呂、福良、高橋、四条、高田
センター 本西 ライト イチロー レフト 田口


後、最初に勝ったファミコンソフトがファミスタ91だったため、
近鉄のメンバーも覚えてたりします。
3〜7番くらいまで、HR打てるバッターが揃ってました。
大石、新井、ブライアント、石井、鈴木貴久、金村、村上
投、野茂、阿波野、小野、赤堀