競馬好きな社会人の日記

競馬好きな社会人の日常をつづった日記です。

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先週の回顧

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天皇賞

フェノーメノが連覇達成。
まぁ、日経賞の状態から関東から関西への遠征というハンデもありながら、
立て直した陣営の手腕は賞賛されてしかるべきであると考える。
人気上位4頭の中でウインバリアシオンゴールドシップは騎手がころころ変わる中、
キズナとこの馬は騎手が変わってなかった。
前者は調教師も騎手も吹きまくる中、
前年の覇者でありながら騎手も陣営も慎重だったこの馬が勝ったのは勝負の必然とも言うべきだったかも。
日経賞の負けを妙にケチをつけられてましたが、2着とは差がないですし、
斤量背負ってもウインバリアシオン以外には先着しそうな感じもありましたし。
そもそもマンハッタンカフェライスシャワー日経賞6着から本番で巻き返しているんですから、
この馬にも当てはまる事例はあったのにデータでもばっさり切られちゃってました。
陣営の言う去年ほどの出来ではないというのは正しいのかもしれない。
万全だったら去年同様早目スパートしてた可能性もあると思う。
だから、いつも通りの叩き3走目の凡走とは違って、
今年は宝塚記念でベストパフォーマンスになる可能性があるのではないかという気もするが、
時期が6月なので回避も仕方ないかも。
この馬が欲しいのは天皇賞秋とJCだと思うし。


ウインバリアシオンシュタルケ幸四郎の乗り替わりは、
一応京都長距離G1で実績のある幸四郎だったのはよかったとも言える。
シュタルケは今一つよくわからん。
まぁ、あの状況でテン乗りなんですから、騎乗方法がどうのこうの言っても流石に厳しいかと。
そもそも岩田だったら・・という意見は一理はあるかもしれませんが、
逆にフェノーメノ意識しすぎてホッコーに差されてる可能性もあると思います。
トーセンラーがG1勝って、この馬がG1勝てんのはなんとかならんのかという気がします。
現状の想定メンバーでは秋よりも宝塚記念の方がチャンスと見ます。
次は岩田が乗ってくれるといいのですけど・・


ホッコーブレーヴは印を回せたのは日経賞の末脚が素直にすごいと思ったこと。
更に、レースの週に府中の準オープン勝った時の末脚もかなり目を見張るものだったこと。
そして、三浦から田辺で馬が変わってる可能性が感じられたことです。
田辺はこういう乗り方ができれば、ますますいい馬に乗れるようになるでしょうし、
場数を踏めば、京都長距離でも信頼できる騎手になる資格があるのではないでしょうか?


ゴールドシップはウィリアムズが乗って先行したらどうなるかと楽しみにしてましたが、
馬とは思えない咆哮の後、出遅れて終了。
まぁ、それでも最後詰めてきてますがおそらくゲートで怪我したと思われる。
出遅れた後何か奇襲をするわけでもなく、
どうやら騎手も先行しか戦術がないようです。
考えてみれば出遅れ常連のルーラーシップで一番ひどい出遅れをしたのがウィリアムズでした。
レースが終わった後思い出しましたw
京都の高速馬場でも走れる馬だと思うんですがねぇ。
幸い単なる筋肉痛だそうなので(流石ステイゴールド産駒)、宝塚では好勝負なんじゃないですかね。


最後にキズナに関して。
何度も言うけど去年の凱旋門賞を見て、そこからいくら馬が成長しているとはいえ、
斤量が3キロも増えたら去年から上澄みがあるとはとても思えない。
まして、去年から脚質が変わったわけでもない。
トレヴが去年ほど走れなかったとしても、勝つ確率がとても高いとは思えない馬に、
マスコミが凱旋門賞凱旋門賞と騒ぐのはいかがなものでしょうか?
挙句凱旋門賞1着や2着ならまだしも、4着なのに煽って1.7倍。これは異常でしょう。
関テレ版はちゃんとしてましたが、フジテレビはレース後お通夜だったのが容易に想像できます。
1強と報道するとこもありましたが、それは勝ってから言われるべきことで、
スペシャルウィークテイエムオペラオーはそんな感じでした。
最近の競馬中継特定の馬が勝たないと白けるとかいう作りになってるような気がして、
そういうの止めてほしいんですけどね。
特にウインバリアシオンなんかは特集が組めるくらいネタはあると思いますがねぇ。


骨折が水曜に判明しましたが、
まぁ、たらればいったらタニノエポレットやゴールドシップも言えるんですから、
余り陣営や騎手がレースの敗因を骨折というべきではないことかと。
高速馬場のせいともいわれますが、
阪神や中山みたいな馬場の方が故障が少ないという因果関係もありませんし、
そもそも阪神や中山みたいな馬場ならますますステイゴールドの子が走るでしょう。
キズナ陣営は始動戦を大阪杯に選びましたが、
そこで捲るなり馬群に入れてみるなり色々と試すことをしなかった。
大阪杯と同じような競馬で勝てるレースではないことは明白でしたし、
それをわかっていながら後ろからいってるわけですから、
天皇賞春への準備が不十分であったと思うし、
凱旋門賞への視界は曇ってたとも言えると思います。